原発への素朴な不安

東海村で放射能漏れ事故が発生した。状況が改善され住民の方の生活が平常に戻ること、被爆された従業員の方が回復されることを祈りたい。こうした事故が発生しないと原子力問題への関心が高まらないのは残念なことだ。新幹線通勤の日々でホームページを立ち上げた98年10月の原子力の日(10月26日)に、自分としての素朴な不安を書いたが、臨界事故発生という恐ろしい現実が起きた。


2000年3月3日:高レベル放射性廃棄物処理費、電力会社に負担義務

原発から出る高レベルの放射性廃棄物の処理費は、当然、電力会社が負担することになっていたと思っていたが、この時期に、政府から法案提出がなされるとのことだ。負担金を料金に上乗せすることを容認する内容だ。結局、利用者である国民が負担することになる。負担が決まったとしても、地下深く埋設する処分地の選定で、また難航するだろうとのこと。人体・自然界への悪影響を防ぐために、地下数百m〜千mの深地下に埋設するらしい。再処理工場で液体で抽出、濃縮され、高さ130cm、直径40cmのステンレス管に閉じ込める。2015年までに4万本発生する。閉じ込めた廃棄物は高熱なので30〜50年冷却してから埋設するのだという。

2000年2月:芦浜原発、白紙撤回

2000/2/23:日経新聞のトップに、中部電、芦浜原発を断念の見だし。三重県知事からの白紙撤回要求を中部電力の社長が受け入れたというもの。計画浮上から37年の歳月。用地取得も済ませていたらしい。地球温暖化防止で、日本が世界に公約した二酸化炭素の排出削減義務を果たすのに、2010年まで20基の原発をつくるというのが、国の計画らしい。

東海村の臨海事故をみて、余りに簡単に事故が起きることに愕然とした。

人間は誤りを冒す者、そうした誤りをどこまで防ぐような対策が取られているのか?

こうした説明も無いまま、何故、原発は、絶対安全だと言い続けられるのか?メリットの強調ばかりでなく、デメリットの情報も公開し、万が一の事態には、どのようなことが想定され、それに対する対策・対応は、どうすればよいのか、両面での情報提供が必要だ。

CO2排出削減は達成できても、放射性廃棄物を次々と産み出す原発。その毒性は、人生の長さでは図りしれないほど長い期間にわたって保持されるのだ。この問題を考えると明るい未来など思い描けない。自分が死んだとしても、子の世代、孫の世代に、どのように影響するのか?

本当に原発が無いとだめなのか?全ての原発が停止すると、生活はどうなるのか?

身近な問題から解決をと地道な活動が必要なのだが、原発のような国が率先して突っ走る巨大機関車を誰が制御するのか?

かつて、電力を消費する東京都に原発をという問題提起があったと記憶している(立花隆氏だったか?)。原子力推進者は、原発の半径350m以内に居住して欲しい。首都移転で原発の周囲に街を作ればいいではないか?少なくとも客観的に議論するためにも、推進者は原発の周囲に移住をすすめる。絶対、安全というのだから?

1999年10月:度重なる情報隠蔽、嘘の発表に対して、民間の監視の目

難しいことは判らないけれど、皆が関心を持ちチェックし続けることが大事。いったん事故が起きれば、自分の故郷が、生きている間は2度と足を踏み入れられない地域になってしまうかもしれない。インターネットを利用して、世界各地の原発や関連施設の状況がわかる監視の目(ネットワーク)が構築できれば良いのだが。原発や身近なゴミ焼却炉付近の、放射能濃度やダイオキシン濃度を常時観測しインターネットで世界中に知らしめることができるば、判断の材料になるだろう。少なくとも、異常が起きているかもしれないという状況を、いち早く知ることができる可能性がある。世界各国の識者への判断材料の提供になればと思う。パニックを恐れて隠蔽しているのかもしれないが、国や関係者から与えられる情報を待っていたら、手遅れになる恐れがある。

1999年4月原子力に関するリンク集で、原子力資料情報室原発事故災害サバイバルを登録。

1999年2月:原発の耐用年数

従来は30年だったが、60年の方向で見直しているそうだ。海外動向もみているとのことだが、新規立地が思うように進まないことが大きな要因。現在、51箇所で稼動、さらに22箇所の建設を予定しているが、建設中・計画中は5箇所(反対運動が行われている、新潟の巻原発を含む)。

1999年1月:放射性廃棄物

新聞に小さな記事”低レベル放射性物質を通常の産業廃棄物として扱える方向で検討が行われている”とのこと

1998年10月26日原子力の日に想う


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