2000年10月



浦和へGO


月曜の賭け

定期券購入

秋の気配


鳥取の地震


40分の差


茶臼岳へ

体育の日
10
体育の日2
11
オセロ対決
12
障害物競走
13
13日の金
14
朝風呂にて
15 16
山形の余韻
17
骨に異常が
18
奥の細道
19
窓が凍る
20
石巻へ

穏やかな日
22
開設記念日
23
携帯椅子
24
真の大黒柱
25
健康診断
26
3年を実感
27
結婚式前日
28
29
チカレタビ
30
露の新幹線
31
暖房全開
       

2000年10月31日(火)暖房全開

北海道では、氷点下5度以下の地域もあったそうだ。我が家もホットマンを使いはじめた。ホットマンは3シーズン目。クリーンな暖房で最高。ヌクヌクとした温風は心地よい。1AM過ぎに三重・愛知で震度5弱の地震があったようだ。4AM過ぎには、伊豆諸島でも震度4の地震があったそうだ。特に被害は無かったようでホッとする。今年も残すところ、あと2ヶ月となる。早い、実に時の過ぎるのが早い(毎年繰り返している言葉なので新鮮味が無いのだが)。特に、10月は、週末のほとんどに行事が入っており忙しかった気がする。11月頭の3連休も後半は行事が入っているので前半が勝負。お天気次第だが、SL(会津−新津間)を見に(乗りにではなく)行きたいと思っている。先日、購入した鉄系の雑誌に、各見所ポイントの紹介と通過時刻が書かれていたので、大いに参考になる。自転車で行けたら最高なのだが、一人で楽しむか、家族で楽しむかの選択になる。家族と言っても、娘は友達と用事があると言っていたし、家内も前日に東京まで遊びに行くらしいので、単独行になる可能性も高い。いずれにしても、雨だけは勘弁してほしい。IT教育以前にNTTの通信料を下げなきゃという議論も起きているようた。フレッツISDNの障害多発で郵政省が調査に入るとか、日本テレコムがADSLを全国展開するとか、このあたりの動きは激しい。AT&Tが有料のHP開設サービス(10MB)を無料にするとか、容量を50MBに拡張するとか、頼もしい話も多くなって来ている。久しぶりにPCの話題を見ていたら、DDRという耳慣れない言葉が、結構前にも、全く毛色の異なる掲示板で目にしたことがある、その時は、ダンス・ダンス・レボリューションの略だったのだが、今回は違う。正確には、DDR SDRAMという名称で、DDR(Double Data Rate)の略。CPUの1クロック間に2回アクセス可能なメモリのことらしい。CPUのクロックが1GHzを越える今、メモリアクセスの速度は2GHzを越える訳だ。もう、ついていけません。この日記を、読んでいただいている方には、いつも申し訳無く思っている。文字のサイズは小さいし、内容が変わってもベタ詰めで書いているから、相当見にくいに違いない。通勤途上で書いている日記なので、見にくさも誤字脱字も許してという感じ。あんまりひどい時には、後から直していることもあるんだけどね。

2000年10月30日(月)露の新幹線

新聞に、ロシア版新幹線「ソーコル250」が来月下旬にデモ走行するという記事があった。軌道にのれば、日本、フランス、ドイツに次いで4番目の新幹線国家となるらしい。次世代という割には最高速250km/h。1984年から運行している「ER200」で200km/hをマークしていたそうだが、新幹線の定義とは何なのだろう。国の威信をかけて走らせるらしい。そう聞くと、何故か、くれぐれも安全面だけはしっかりして欲しいと思ってしまう。東京駅丸の内北口ドームで駅コンなるものをやっていたのは、前から知っていたが、今日、何気なく手にしたパンフレットは、11月9日の第246回公園をもって14年間にわたる駅コンを終了するという案内であった。帰りのMax号で、郡山まで行く(帰る?)年配の夫妻の隣に座る。奥さんが、おつまみをすすめてくれる。旦那さんは、私のPCを指差して、これは便利なんだぞと奥様に語る。画面を興味しんしんに覗きこむので少し困惑。子供のような好奇心なので悪気が無いのは判るのだが困惑。そのうちに、Max号車内の電光掲示板に表示されるニュースに関心が移ったようなので、ホッとする。

2000年10月29日(日)チカレタビ

ホテル13Fからの眺め昨日は、那須高原りんどう湖ロイヤルホテルにて、結婚式&披露宴。左写真は、披露宴会場(13F)からの眺め。曇り空ながら、まずまずの眺め。下側の紅葉も始まる頃には、最高の眺めでは。自宅からは、約30分と近いのだが、遠方から方々と一緒にホテルに宿泊。そんな訳で、久しぶりに時間を気にせず、延々、飲み食いを続けることになる。夜は、新婦父、彼の甥二名(一名は義弟)、自分と4人で(この組み合わせは初めて)、10PM過ぎに黒磯まで遠征して飲みなおす。ご帰還は2PM。かなり飲んでいたのだが、長丁場で、思う存分発散!?したせいか、それほど酔っている自覚もない。ジャイアンツが日本一になっていた。

朝、息子とホテル内の温泉に。露天風呂となる岩風呂は、昨晩からの雨が止んでおらず、長居はできなかった。スッキリした後は、1Fの土産物コーナーで飲み物を。那須高原産の牛乳が美味しそうだ。レジに、どこかで見たことがある人が居るなと思ったら、結婚式の時の巫女さんの一人だった。お客さんは誰も気付かないだろうと思っていたそうだ。気付くよ、あなた可愛いもの(息子の手前、ここまでにしよう)。昨日は、3組の結婚式があったそうだ、忙しくなると借り出されるのだろう。神主もいるのではと思ったが、さすがに、こちらは見つけられなかった。天気が悪いので屋外の観光はあきらめ、トリックアートびあ(ジュラシックメイズ/フォトリック・スタジオ)で中、右のような写真を撮影してきた。昼は、クーシでパスタを。ここのパスタは美味しい。辛口のメニューもあり、とっても美味しかった。ちなみに、自分は、大人のナポリタンを食べる。白河に戻ると、疲れがどっと出て、珍しく、お昼寝をする。

2000年10月27日(金)結婚式前日

明日は、久しぶりの結婚式に出るため、家族で那須へ向かう。ハッピーな気分で美味しいお食事をいただくわけだから、これ以上のことはない。那須までは、車で30分なのだが、遠方から来られる方に混じり、一泊することになっている。ますますもって楽しいかもしれない。久しぶりのホテルに、子供達も大喜びするに違いない。帰りは、紅葉の見える温泉にでもつかってきたいものだ。本日の白河の予想最高気温は15℃(前日差-4℃)である。朝は、エアコンで暖房を使うようになった。もっと寒くなりホットマンが活躍する日も近い。日本シリーズも五分五分の星となる。特別どっちに肩入れしているわけではないので、とにかく良いプレーで盛り上げて欲しい。場外でのラフプレーの話題が、もう出ないことを期待したい。ラブロスが、10万を切るTFT液晶ノートを発売するらしい。そして、ようやく、OCNにも、ダイヤルアクセスでのフラットプラン(定額)が登場した。詳細は見ていないが、来月から移行する可能性大。10月22日の日記で、@niftyの容量制限(max30MB)に達したことを書いたが、本日の新聞に、max150MB拡張可能にするという発表が載っていた。本来、10MBが標準で、5MB単位の増設を拡張料金を払って繰り返し、30MBまで行き着いた訳だが、この後も、10MB単位で150MBまでの拡張を可能にするという悪魔の誘いである。容量を節約する気持ちが薄れ、安易に容量拡張に走ってしまいそうな気がする。たとえ、内容が無くとも容量があれば、毎月相当の課金がなされてしまう。

2000年10月26日(木)3年を実感

昨夜の無駄な動きがあったせいか、本日は、やや眠い。娘が、いつもより早く起きてきて、宿題で判らないところを教えてくれという。濃度の計算だった。今回は、大丈夫だったが、今後は、答えられない問題が次第に多くなるのだろうなと思った。懐かしい写真が出てきた。約3年前の写真。我が家が建つ前の草ぼうぼうの敷地で撮った写真である。当時、浦和から、打ち合わせがてら見に来た時の写真だ。たった3年前の写真だが、今より結構、若く見えた(当然、痩せて見えた)。最も変貌を遂げたのは、娘である。写真の中の娘は、息子同様、小さくて子供子供していたのだが、現在では、家内とほぼ同じ身長になっている。3年の時を、実感するには、十分な写真だった。白河に越してきたのは、1997年11月29日(土)だった。そして、新幹線通勤の初日は、12月1日(月)であった。あと1ヶ月少々で、新幹線通勤ライフも3年になる。新聞の片隅に、OCNのインターネット接続サービスの会員が約7千名とあった。そんなに少ない訳はないだろうと思ってよく見ると、沖縄ケーブルネットワーク(OCN)だった。OCN違い。それにしても、紛らわしい。

2000年10月25日(水)健康診断

健康診断は最終日まで延ばしたものの、予想通り、何の効果も無く、春からの体重増加3kgの宣告を受けた。診断結果で誇れるのは、唯一、1.5の視力だけ。昨日、生まれて初めて、鉄系の雑誌を購入した。買ってみようかと思ったのは、会津−新津間のSL運行とドクターイエローの特集があったからだ。今度のお休みに、SLに乗るか、車で行って眺めるか、どっちかをしたくなった。ドクターイエローは、2001年に、Max車両ベースのものが登場するらしく、結構、楽しめた。日立から、クルーソー搭載のB5ノートの発売予定が発表された。重量1.7kgでCD-ROM搭載でバッテリー持続11時間というニュースリリースだが、よくよく諸条件を見てみると、いろいろ制約事項があったりする。それにしても、バッテーリー性能の強化はモバイラーにとっては、重要なファクターだ。ACアダプタを持参する必要があるか、ないかの瀬戸際なのだ。また、充電が1日、1回で済むか2回になるかで、バッテリーの寿命も2倍異なるわけだ。自分のように、新白河−東京間の往復の新幹線車内で使用するだけならば、現在のCF−B5Vはベストな機種である。大体、片道で50%弱のバッテリーを消費するからだ。また、充電が必要なケースでも、充電時間が短いため、助かることが多い。会社でも立ち上げたりすると、帰りは、若干不足気味になる。こういったケースでも、クルーソー搭載ノートならば、余裕だろうし、発熱が少ないので、膝の上での使用で膝が汗ばんだりせずに済むかもしれないし、冷却ファンが不要なことから静寂で良いかもしれない。などと言っているうちに、10:50pmになる。新白河着は、10:47pmのはずなのだが、遅れているのか?いや、そんな訳は無く、寝過ごし(乗り越し)である。新白河まで戻る電車は無いが手前の矢吹駅まで戻る在来線があることは、前回の学習で把握済み。郡山駅の改札で駅員さんに寝過ごしたと話す。前回は、ここまでの料金はいいから、戻りの在来線の切符を買うように言われた。今回は、本来ならば乗り越し料金をもらうところと、いろいろ言われたが、結局、在来線の切符を買わされることもなく改札を通していただいた。矢吹駅の改札を、どうやって抜けるのかと尋ねると、事情を話してみたら・・ということだった。さて、在来線(東北本線)のホームに行く。そば、うどんと書かれた店の前でビールや酒を飲んでいる客がいる。そばを食いたいなと思って、歩みよるが、恐らく11pmで店終いしたのだろう・・中では、後片付けと本日の売上計算をしていた。11:13発の在来線を待っていると、先刻のそば屋の前の客が、おもむろにこちらに近づいてくる。そして、ゴミ箱をめがけて、きれいな放物線を描いた。あっという間の出来事。酸っぱい匂いが風に乗ってやってくる。その場を、あわてて離れたのは、言うまでも無い。一つ間違えば、オコボレをいただいていたところである。12時を回った頃、何とか自宅に帰りつく。結局、矢吹駅には、既に駅員が居らず、車掌さんがホームに居たがチェックもされず、そのまま降りることができた。

2000年10月24日(火)真の大黒柱

子供達や自分の風邪がようやく一段落したと思ったら家内が風邪。朝、子供達の朝食の準備をしながら、真の大黒柱は家内だなと実感した次第。どうしたものかと思っていたが、一晩寝て、だいぶ回復したようだ。ホッとする。そんな訳で、今朝は、いつもより一本遅い新幹線に乗る。お天気が良く、Max車両なので、今朝は二階席の右列に座ることにした。那須の山並みがきっと綺麗に見えるはずだから。予想は的中。那須塩原を発車してまもなく川を横切るのだが、水面の色が、とっても濃い青で風景にとっても映えてマッチしていた。気分が良い。宇都宮駅から、隣席に若い女性が座る。しばらくして寝に入ったのは良いが、こっちに顔を向けて目が半分空いている。ちょっと恐かったぞ。大宮駅の直前で起きたのだが、今度は、右手がこっちに伸びてきて、自分の足に触れている。そうなのだ、Max車両の一部の二階席では、肘掛が無いのだ。肘掛に触れているつもりなのだろうか、10秒ほどして、ようやく気付いたのか手を引っ込めた。かなり恐かったぞ。いつもと違う新幹線に乗ると、何かしら、変わったことがあるものだ。

2000年10月23日(月)携帯椅子

始発に乗り損ねた為、久しぶりに携帯椅子が役立つ。上野駅、大宮駅を利用している頃は必須だった携帯椅子も、東京駅を利用するようになってからは、確実に座れるため、お役御免の状態だった。捨てなくて良かった。久しぶりに使うせいか、両足が少し緊張。携帯椅子は、不安定な一脚椅子であるため、両足を使ってはじめて三角形の安定した脚となる。両足も重要な脚なのだ。三角形を作っても、まだ揺れには弱い為、壁を背もたれにすることで、ようやっと座れる状態である。久しぶりに座るコツを思い出した。名古屋に行った方が、味噌煮込うどんせんべいをお土産に買ってきた。癖になりそうな味。後味がいつまでも口に残り、本物を食べたくなった。食べたくなると言えば、子供の頃から大好きなベビースターラーメン。45年の歴史があるらしい。現在、一部商品に、ファスナーベビーちゃんが付いている(全部で15種類ある)。今日から、鞄を変えた。前の鞄は大きくて、容量一杯にいろんなものを入れてしまう性格も災いし、とっても重たい鞄になっていた。多少重くても筋肉トレーニングになるからと済ませていたのだが、先日、右肩の腱を痛めたこともあり、この機に軽くしてみようかと思った次第。しかし、衝動的に、二段階ほど小さい鞄にした為、PHSカードを挿入したままのパソコンを入れると、ファスナーが完全に閉じれないなどの問題も起きている。全くもって、いい加減な性格である。死ぬほど考えて、最後は衝動で行動するのだ。まあ、とはいえ、軽い鞄は良いものだ。これからは、鞄に入れるものを、厳選しようと思う。

2000年10月22日(日)開設記念日

日本一短い線路?娘の中学校の体育館で発見新幹線通勤の日々」を開設して2年。我ながら、良く続いたなあというのが正直なところ。今では、生活の一部になっているところもあり、自分としては、楽しみながらやっている。午前中は、前から行ってみようと思っていた南湖公園翠楽苑に。茶をすすりながら庭園を眺める。左の写真は、JR研修センターにある実習用の線路。日本一、短い線路ではないだろうか?午後からは、娘の中学校の文化祭を見に行く。各学年による劇は、それぞれに味があり、楽しめた。体育館ステージ横の壁には校歌のプレートが貼られていたが、その下の、館内緊張に思わず笑う。最近は、度々、サーバーの容量制限にひっかかる。拡張枠一杯(@niftyの場合で30MB)まで使い切った為、過去のコンテンツを消さないと登録できない。今日だけでも、3つのページと数十点の画像を削除。以前から、なるべく画像は小さくと心がけてきた。基本的には、164ピクセル高がデフォルト。ちなみに、Webでの使用のみならば、大昔の35万画素のデジカメで十分なレベルである。300万画素クラスのデジカメで写真を撮っていても最小画素の設定で撮影し、さらに縮小をかけていたのでは、品質も悪くなるのは、いた仕方ないところ。

2000年10月21日(土)穏やかな日

南湖公園穏やかな一日でした。今朝は、娘を車で送りがてら、遠回りして南湖公園を通ってきた。昨日の雨が上がった後で、しっとりとしている。午後からは、自転車を走らせ白河高原牧場に。360度のパノラマと牛を見てきた。気分爽快。緑の中に白黒の牛は映えていました。牛4頭の写真を撮っていると、所沢ナンバーの車が停まり、おばさんが4人降りてきて、「シャッター押していただけますか?」。快諾。牛4頭をバックに、4人のおばさん、あわせて、牛8頭という感じであった。自分のデジカメでも撮影したい構図だったが、さすがに、それはできなかった。

2000年10月20日(金)石巻へ

今日は私用で石巻へ。いみじくも3連休となるが日帰りなので結構、忙しい。車で、往復460kmといったところか。余裕があれば、蔵王や米沢に寄り道をしたいところだが。

石巻の渡波海岸に立ち寄る。この時期の海岸には、誰もいない。へたくそなサーファーと強風にやられっぱなしのウインドサーファーの二人、我が家だけである。本当に風が強くて、時々、瞼を閉じなければいけないほど。でも、海は気持ちが良い。

用事を終え、帰る頃には、雨が降り出す。ドライブなどと呼べる代物ではなく、視界不良のなか、必死に運転して白河まで帰る。

2000年10月19日(木)窓が凍る

今朝、車のリアウィンドウが凍っていた。今季初。空気は澄み、山並がくっきりと見える。始発のなすの号に乗るが、今日は、気分を変えて1両目に乗る。先頭車両の最前列に陣取る。在来線と違って、運転席は見えない。那須塩原を過ぎたが、先頭3列までの乗客は自分一人。ゆったりとした気分を味わう。先ほど、少し不気味なことが・・。ドアが勝手に開いたのだ。先頭3列目の範囲には自分しか居らず、デッキにも誰もいない。誤動作なのだろうが・・時間帯が夜で乗客も居なかったら背筋が寒くなるかもしれない。NTTがL-mode(i-modeの家庭用電話機番)サービスを今年度末頃からサービス開始するらしい。

帰りは最終。新白河で降りる方々の大半は、疲れがみえている。そんな中、改札口のところで、2歳くらいの女の子が改札口を通過する父親を待ちきれずに駆け寄って来た。「お父ちゃん、どこ行ってたん?」。父親に抱きかかえられてからも、大きな声で問いかけを繰り返す女の子の大きな声が響く。後には、中学生位のお姉ちゃん、奥様、お母様とおぼしき方がたが、女の子のやり取りを笑って優しく見守る。久しぶりに帰って来たのだろうか?そんな光景を目にして、こちらも疲れが吹き飛んで、幸せな気分になれた。家に着くと、もちろん、子供達は寝ていたのだが、息子からの伝言があった。「よく噛んで食べれば太らないよ!」というものだ。最近、太った、太ったと言っていた自分へのアドバイスなのだろう。うーん、嬉しいような、悲しいような

2000年10月18日(水)奥の細道

車窓の景色がビデオの早送りのように流れていく。ふと、この道のりを自分の足で歩いた松尾芭蕉を思う。ある意味で、なんと豊かな時代だったのだろうか。今日は、最終の新幹線。時々、見かけるのだが、東京駅のホームで別れを惜しむカップル。今日は、ちょっと落ち着いた二人。その落ち着きが、また、ここまでの歴史を感じさせる。最後まで、笑顔で、じれったくなるような距離で手を振り合っていた。幸せになってね、でも、続けるのが辛いなら止めたらと、心の中でつぶやく。どうして、そんな距離が離れた二人が巡り合うのか。運命の悪戯なのか。私が新幹線通勤を楽しむようには、遠距離恋愛の二人は新幹線を楽しめないだろう。だって、二人を引き裂く乗り物だから。などと、柄にもないことを書いてしまった。最終の新幹線には、そんなことを書かせるような何かがあるのだ。そんな自分の隣に座った女性は、携帯電話を手に持ち、スヤスヤと寝入っている。いつ、友人、彼氏から入るかもしれないメールに備えるべく。新幹線車内では携帯の電話を切れと言っても、こういう人達は、切れないだろう。人から聞いた話だと、東急で携帯を使える車両と使えない車両を設けるらしい。新幹線にも、携帯・PHSが使える車両と使えない車両ができるかもしれない。既にある、禁煙、喫煙可能という分類と、携帯が使用できる、できないという分類と、どちらが、今の時代に求められているのだろうか?昼休みに病院に行き、検査結果を聞く。勿論、正直に、結果を聞く前に逆立ちの件を正直に話した。骨や血液には異常が無く腱が急性炎症を起こしたということで決着。まずは、一安心。明後日は、私的な用事で石巻に行くことになる。

2000年10月17日(火)骨に異常が

昨日の朝、右肩に痛みを覚える。当初、週末の疲れかと思ったのだが、手で触ってみると骨にタンコブのような腫れがある。骨の病気?という想いが頭をかけめぐり、ビビル。早速、病院に行く。先生は、心配は要らないと言いながら念のためにと、レントゲン血液検査を行う。各々の結果は、今日と明日に判明する。若干の不安を覚えつつも、心配は要らないと思うという先生の言葉に安心する。腫れは、骨そのものではなく関節部分らしい。また、筋肉質だが、何か激しい運動をしているか?と聞かれた。しかし、特段何も思い浮かばず病院を後にした。しかし、夕方になって、あることを思い出した。そして、おバカな自分に呆れてしまった。日曜日の夜、ワインを飲んで良い気分になっていた時に、娘から逆立ちの話が出て、本当に久しぶりに逆立ちをしたのだ。体育館のはじからはじまで歩けたとか、逆立ちで十回以上腕立て伏せが出来たとか、若い頃の自慢をして。ところが体型が変わったのか、いつものタイミングでは立った状態を持続できず、力任せの反動で思いきり逆立ちすること数度繰り返した。その際に、自由度が狭まっていた関節を痛めたに違いない。右肩には、かつてソフトボールで痛めた古傷があるのだ。

まもなく宇都宮という頃、車内で若いお姉ちゃんが、いきなり携帯で話し出す。コラッ、デッキに行かんかい・・と思うものの、その話の内容に、笑ってしまう。「ディズニーランドに行くんだけど、東京駅まで行けば良いの?そこからどうやって行くの?・・ケイ・・ケイヒン・・とにかく、ケイって付く電車に乗れば良いのね。・・マエハマで降りれば良いのね・・」。京葉線に乗って舞浜で無事降りられることを祈る。アーメン。

2000年10月16日(月)山形の余韻

東光の酒蔵(米沢市)馬見ヶ崎川の河原で芋煮会(山形市)週末は山形へ。1年ぶりに(自分は2年ぶり)メンバーが集う。首都圏からの参加者が多い中、自分は、福島県からの参加なので距離も近く余裕。本来であれば、東北−山形と高速道を使えば早いのだが、福島飯坂ICで降りて、国道13号線を使うことにした。久しぶりに米沢市を訪れてみたかったのだ。米沢での滞在時間は40分と短かったが、東光の酒蔵を見学する。入ってみると、予想外に広く、酒造りの全てがわかる資料館になっており、オススメである。試飲即売所もあり、試飲だけで顔を真っ赤にしている方も多数いた。車組の自分にとっては、やや目の毒であった。米沢を後に、将棋の駒で有名な天童市へ。こちらでイベント(セミナー、宴会、温泉)。翌日は、山形市の馬見ヶ崎川まで戻り、本場山形の芋煮会を楽しむ。今朝は、予想以上に疲れており、一本早い新幹線に乗ることは断念。幸いに先頭車両で空席をゲットすることができ、立ちは免れた。ホッ。山形の余韻に浸りながら、今週も頑張ろう。

2000年10月14日(土)朝風呂にて

実は、朝風呂がマイブームだったりする。単に、前夜に眠りこけてしまってはいりそこねたりすることが多いせいかもしれないが。早起きして朝風呂に入ると気持ちいいです。窓を開けると冷気とともに新鮮な光景が飛びこんでくる。青空と流れる白い雲。今日の天気はマズマズ良さそうだ。お隣さんの雨どいから何やらニョキニョキと。ズームアップしてみると、細いけれど木が生えている。おっと、いけない。これでは、まるで覗きである。お風呂を覗かれるという話は良く聞くが、お風呂から覗くというのも変な話である。

2000年10月13日(金)13日の金

昨日、今日と不幸が続く。何故か、首周りが重たい気がする。このページを編集していて、今日は13日の金曜日だということに気がついた。だからどうということも無いのだが、暗いイメージは今日で立ちきり、明日から明るく行きたいものである。東京駅で変な時間帯に乗ったため、宇都宮駅で乗り換えとなる。待ち時間に、駅ビルに入っている餃子屋「みんみん」でも行ってみるかと思い立つが既に閉店時間を1時間も過ぎていた。仕方なく、下りホームの待合室でパソコンを開く。バッテリーの残量が心もとない。ふと見ると、壁にACコンセントがある。しかし、これは利用客の為に設置されているものではないので使ってはならない。ここで数十分間もパソコンを利用したのだが、新幹線に乗る頃には、何故か、バッテリー残量は増えていた。宇都宮から乗ったMax号は、多くの乗客が降りた後なので、空席が多い。そんな中、洗面台の前でゴルフの素振りをするオジサンを発見。トイレ待ちかと思いきや、そうでは無い。ゴルフの後は、バッティング。そして空手。次は何かと期待したら、いきなり手すりを掴んで写真の如く。酔いが回ってしまったらしい。寝過ごさず、本来の駅で無事、降りて欲しいと切に思った。とっても愛すべきオジサンであった。最近、オジサンとかオヤジとか書くたびに、自分も、オジサンでありオヤジなのだと思うと、キーボードをたたく手が鈍ってしまう。

2000年10月12日(木)障害物競走

町内会名簿の更新分が配布された。それによると、過去1年間で、転出が12世帯、転入が38世帯である。26世帯の増。平均4人弱の世帯と考えると、約100人の人口増である。近くにも、建設中の家が幾つかある。家が少しずつ出来あがっていく様を見るのは、楽しいものである(他人の家であっても)。日中は、東京に居て何の違和感も無いが、帰りの新幹線に乗ろうと八重洲地下街を足早に通る時に、家と会社の距離を少し感じる。地下街のお店は、遅い時間帯にはシャッターが降りていること多いが、少し早ければ、楽しそうにくつろぐ人達で一杯である。中には、旅人も、遠距離通勤者もいるだろうが、大多数が首都圏にお住まいの方であろう。新白河駅の自動改札は4個ある。少しでも手際良く定期券を出し入れして、空いている改札を、さっと通過するよう心がけている。全くお馬鹿な話だが、自分は、運動会の障害物競走を連想してしまう。一斉に、地面に敷かれたネットに頭を突っ込み、真っ先に抜け出るよう競うのである。私は、そんな競技がある運動会が大好きである。浦和時代は、好んで、自治会大会の運動会にも参加していた。対抗リレーも大いに盛り上がる。しかし、数年前に疲労モードのまま寝不足で運動会に参加、多くの種目に参加し、最後のリレーで肉離れをやってから、走ることには若干臆病になっている。それから4度の肉離れを経験している。癖になるのだ。もっとも、年齢的なもの、慢性的な運動不足、体重増加・・どれをとっても、なるべくしてなっている感が否めない。1ヶ月後には、須賀川市で開催される円谷幸吉メモリアルマラソン大会に出ることにした。10kmのコース。娘と息子も各々、3、2kmのコースにエントリー。短距離では無いので、怪我は無いと思うが、少しでも体調を整えてのぞみたい。当ページのアクセスも、昨日、40000を通過。実は、今日が、結婚記念日だったりする。

2000年10月11日(水)オセロ対決

昨晩、中一の娘からオセロをやろうと誘われてやるが圧倒的な勝利。娘がリベンジを挑む。TVを見ながら適当にやっていたら同じくらいコテンパンに負けた、娘は、さらに決着をつけようと。それならば、もし娘が勝ったら、私は娘を**様と呼び、娘は私を、アホ**と呼んでいいぞということにした。今度は、TVも見ずに真剣にやった。結果は、娘を**様と呼ぶ羽目に・・。天気予報を見ると、白河の予想最高気温は、21℃である。朝晩は、肌寒い。

帰りの新幹線でパソコンを取り出す。隣に座った方が、失礼な位に覗きこむ。正直、嫌だなあと思っていたら、話しかけられた。「ボールは使いやすいですか?」。トラックボールのことである。ここを聞かれたら、答えないわけにはいかない。しばし、パソコンの話で盛り上がる。彼も、Panasonicのノート(トラックボールでは無いタイプ)を鞄に入れている。ナント、Panasonicの社員だった。宇都宮でお別れするまで、通勤のこと、休日の過ごし方、最後は、まじめな仕事の話までしてしまった。たまには、こうした出会いも悪くない。何気なく頭上を見上げたら、通気口のところに、カメムシがいた。仙台まで行くのだろうか?

2000年10月10日(火)体育の日2

やっぱり、今日が体育の日という感じである。お天気も良くなりそうだ。足・腰・両腕の筋肉に適度なハリがある。疲労しているのだがかえって心地よい。目下の最高の楽しみは、自転車で峠を制覇することだったりする。こんなことを考えられるのも、あと僅かの期間。一足早い冬が、そんな気持ちを吹き飛ばしてくれる。浦和に住んでいた頃は自転車は年中乗れる乗り物だったが、白河に越して来てからは、12月〜3月はオフシーズンになった。そして、そのオフの季節はスキーのシーズンである。毎年3回位しか行けないので、今年は、もう少し行きたい。と夢は膨らむが、現実に戻り、連休明け、今週も頑張ろう。

当ページのキリバン(40000)が目前である。木曜日頃には、いい線まで行きそうである。1万単位のキリバンなので何か準備をしようと思っているが、肝心の申告が無いと話にならない。今回は、どうであろうか?他所で、よく見かける掲示板をレンタルし、信じられない出来事&人をテーマにしてみた。現在の掲示板から飛べるようにしてみたが、目立ちにくいので、気付かないかもしれない。2週間ほどアクセスが無いと使えなくなるらしい。自分の掲示板も、少しグレードアップしたいのだが、CGIとPerlに触る気が失せつつある今日この頃。

2000年10月9日(月)体育の日

10月9日の体育の日は、なんとなく、しっくりこない。おまけに、朝から冷たい雨である。朝、南湖公園に散歩に行き、雨の中、デジカメで写真を撮る。そんな画像をアップロードしていたらホームページの容量制限にひっかかってしまった。現在、オプションもつけて最大30MBにしているのだが、整理もせずに次から次へとアップした報いだろう。@niftyでは、これ以上増やせないので、一部のコンテンツを削除した。

午後もどんよりした天気ではあったが、雨が上がったので、自転車に乗ることにした。昨日、那須で走った感触が忘れられないのだ。前輪のタイヤがへたっていたので、急いで、はりかえる。ガスがかかって路面も濡れている中、レジーナの森まで上る。手前13kmからスタートしたので往復26km。平和の郷というところで引き返す。標高715m。晴れていれば、素晴らしい眺めの中、ダウンヒルができたのだろうが・・それは次回にお預けである。

体育の日に家族で何か体を動かそうということになり、ボーリングに行く。祭日なのに客はまばら(経営は大丈夫なのかと心配になる)、1Gの料金は¥550(高い。今は、これが相場なのかと、少しビックリ)。小4の息子も何とか投げられるようになったので、楽しめた。スコアは、140と163(まずまず)。

2000年10月8日(日)茶臼岳へ

昨日は一日立っていたせいか疲れたので少し早めに寝た。今朝は、お約束通り、いつもより早く目覚める(3:30AM)。睡眠時間だけは、嘘のように規則的なのだ。4時間半という睡眠時間が体内時計で正確に刻まれている。学生時代から、こんな感じである。熟睡しているらしく睡眠不足ということもない。今日も、まずまずのお天気。命の洗濯をしに自転車で那須の茶臼岳方面へ

やっぱり高いところに上ると気分は最高だ。○○と煙は高いところにのぼる・・

2000年10月7日(土)40分の差

秋晴れの休日。山が温泉が呼んでいるのだが、今日は臨時のお勤めなので、恨めしく那須の山並みを眺める。いつもより1本遅い新幹線に乗る。いつもより40分遅いだけなのだが、だいぶ雰囲気が違う。まず、駅構内が明るい。いつもは閉まっている観光案内所もオープン準備に忙しく、全体的に活気が感じられる。休日のせいか、スーツ姿の乗客は少なく、お出かけという楽しそうなグループが多く目に付く。ますます持って恨めしい。

車両は、Maxの16両編成。Max号と言えば2階建てだが、一部は1階建て(こんな呼び方あるのかな?)になっている。最前列の席を陣取って、椅子下のコンセントを借用する。これで、行きも帰りもバッテリーの不安なくPCが使える。いつもより、ゆっくりしたので家で珈琲を飲みすぎ、ポットでの持参を控えたのだが、やっぱり我慢できずに車内販売で買い求めることになる。新幹線内で珈琲を飲むことが習慣化したせいか無いと禁断症状が起きるようだ。

本日の目的地は大森。品川駅を通過、次は大井町かと思えば、景色が違い大崎。東京駅から京浜東北線に乗ったつもりが山手線に乗っていたらしい。たまに、こういうボケをかましてしまう。少し時間が早いから駅前で茶でもしようかと思っていたが、はからずも時間調整になってしまった。これ以上、おおボケをかまさないように気をつけなくては。

2000年10月6日(金)鳥取の地震

鳥取で大地震があったらしい。日中、仕事で出歩いていたせいか夕方まで気がつかなかった。ドタバタしていて帰りの新幹線に乗ってから、現地は大丈夫なのだろうか?と考えた次第。被害が軽微であることを祈りたい。地震の話が出る度に思い出すことがある。4〜5年前に、たまたま聞いた話。1999年7月31日(ノストラダムスの大予言、五島氏の書で話題になっていた)のことを不安に感じていた人が、その話題を出した時のこと。きっぱりとこう言った人がいた。これから5年ほどは、どんどん混乱する世の中になり、地震、火山活動、水害などの天変地異もあちこちで起こる。しかし、2010〜2016年以降には、日本で画期的な発明があり、環境やエネルギー、食料問題などを解決し地球を救う役割を担うというもの。そのまま素直に聞ける人はいないと思うが。記憶に残っていること。

3週間ほど前に修理に出した、SANYOのDSC-X100が返ってきた。ホームでの待ち時間に、反対側に停車している700系を撮影してみる。一応、直ったようだ。なにせ、ここ数ヶ月間、故障につぐ故障でまともに使えていない。今日は、3連休に入る金曜日のせいか、新幹線はメチャ混みであった。

2000年10月4日(水)秋の気配

駅に向かう道の街路樹が色づきはじめている。もっと前からそうだったに違いないが、今朝、気がついた。景色にも目をやる心のゆとりが必要だと思った。先週は、子供の話も上の空で聞いている時があったらしく、子供達がショックを受けていたと家内から聞かされた。反省した。理由があって聞いていられないと言うならまだしも、聞いているフリをして心がそこに無いというのは、とっても悪いこと。そんな訳で、今週は、きちんと聞いている。そうしたら、秋の気配も感じられた。自宅、新幹線、会社・・この3つの空間を味わえるのが新幹線通勤の醍醐味。危うく、混ぜこぜにしてしまうところであった。

浦和時代に両神村(秩父)キャンプ場に、ご一緒した、Iさんと7年ぶり位にあった。まさか、仕事で出会うとは思わなかった。当時と比べると、お互いに体型が膨らんだように思う。当時、年長だった娘は、中学生になった。講演を聞く。経済学者の方なのだが、IPv6を、やたら口にしていた。先日、森総理が、バージョン6と言った奴である。話は、とっても面白かった。今後への期待が出できたが、現在の不満が、また膨らんだ。フレッツもCATVもADSLも、白河は蚊帳の外である。物理的な距離よりも、通信インフラの未整備の方が辛い。

2000年10月3日(火)定期券購入

今朝は慌てた。家を出る頃になって定期券が昨日で切れているのに気付く。2つしかない窓口に並ぶ。前の方がトロトロ切符の指定をしている(そう思えてしまう)。間に合わないかもとイライラしている雰囲気を感じ事情を察知した駅員さんが、さっと自分から購入申込用紙を受け取り手際良く処理してくれた。おかげさまで、ぎりぎり、いつもの新幹線に間に合った。新白河では、一本逃すと、長時間待たねばならないので、本当にホッとした。次の定期券購入は、2001年の正月だ。ああ、今年も、気がつくと終わっているのかな。今朝、スーツを変えたのだが、ベルトを忘れてきた。定期券で慌てたせいであるが、忘れても平気なくらい、ウエストが・・

東京駅に着き、いつものように八重洲地下街を歩いていると。白河という文字が目に入る。明日から3日間、八重洲地下街で白河フェアが開催されるようだ。ポスターに書かれていた内容で最も気になったのは、イーストスポットで行われる南湖写真展である。白河に越して来た時、観光案内やパンフレットを収集していた時に、とってもイイ写真と出会った。南湖四季礼賛というタイトル。写真家は、椎名亮介さん。その方の写真が展示されるようだ。是非、通勤途中に足を止めて、見に行かねば・・。白河フェアで、どんなことをするのかは判らないけど、是非、機会があったら、椎名さんの写真を見て欲しいと思う。

2000年10月2日(月)月曜の賭け

一週間が早い。気がつくと月曜日になっている。昨夕のジョギングのせいか、足腰にハリがある。月曜の朝は、一本早い新幹線に乗らないと座れないことが多い。しかし、新聞をゆっくり読んでいるうちに時間が超過、間に合わなくなってしまった。いつもの新幹線では、6両目(禁煙車)と決めているが、今朝は、1・2両目(禁煙車)の方に空席が残っていることに賭けて並んでみる。目の前を通過する1両目に連続2席を発見。1両目の前方乗り口には1名しか並んでいなかったので、その後に並ぶ。ドアがあいて車内へ。後側の乗り口からも数名が車内へ。パッと見て、手前に1席(二人席で美女の隣、文句無しの特等席)、中央に2席(三人席、新聞を大きく広げた方の隣)。3名だけが空席にありつける。表彰台は3つしかないのだ。自分の前の方は、勿論、手前の1席に向かう。金メダルゲット。その彼の傍らを通過して中央席へ。反対側から来た1名に続いて自分が3席目をゲット。銅メダル。この際、メダルの色はどうでも良い。この間、誰も走ったりはしない。冷静なフリをしながら、走り出したい気持ちを必死にこらえて、すまして空席に向かうのだ。「そこの席、イタダキ!」とか言って、がむしゃに走ったりはしない。何故だろう?・・。席に座ってから気付いたのだが、手前席に座っているはずの方が立っている。どうも、空席では無かったらしい。先頭に並んだからといって、餌に真っ先にありつけるとは限らない。金メダル剥奪である。明暗を分けた一瞬であった。

2000年10月1日(日)浦和へGO

iモード流行はいいが、座席をサンダルで踏まないでソフトボールをしに浦和に行くのは本当に久しぶり。白河の大会があったり、雨に降られたり、所用があったりと。今日は、秋季大会の決勝戦とのこと。天候はマズマズなので、風邪をひいてはいるものの、いてもたってもいられず、新幹線に飛び乗る。果たして、勝利の美酒に酔えるのだろうか?宇都宮駅停車時にメールチェックをすると、グランドコンディションが悪いため中止の報。ゲッ!・・既に、新幹線のドアは閉まり発車してしまった。次は、小山駅。時刻表を見ると、小山駅で降りても、白河駅に戻れる新幹線は当分無い。小山も新白河も停車する新幹線が少ない上に両方停車する新幹線は、ほとんど無い。このまま大宮駅まで行き、那須塩原・新白河に停車する新幹線に乗るのが最も早く戻る方法である。しかし、それじゃ、つまらない。目的地を、中国飯店(宇都宮)の餃子に変更。先日、ラーメン屋で耳にした情報を確認することにした。幸いに、小山駅で降りると、5分後に宇都宮駅行きの在来線があった。30分弱で、宇都宮に着くようだ。車内は空いている。若い男女は、携帯(I-Mode)でメールをしている人を本当に良く見かける。写真の彼女も、その一人。メールは良いんだけど、サンダル履きのままシートを踏むのはヤメンカイ。昨日に続いて、今日も、子供達と町内をジョギングする。家内も加わったのだが、途中で引き返してしまった。10月は、ジョギングがマイブームになりそうな予感。