第18回円谷幸吉メモリアルマラソン大会

2000年11月12日(日)、円谷幸吉メモリアルマラソン大会(須賀川市並木町運動場)に、子供達と参加した。円谷幸吉は、ご存知の方が多いと思うが、東京オリンピックのマラソン競技の銅メダリストである。競技暦を見ると、トラック競技、駅伝競技などでも多くの輝かしい成績を残している。1968年1月8日、自衛隊駐屯地宿舎で自刃、生涯を閉じた栄光と孤独のランナー。


クラスと距離(参加総数、2,078人)

息子が小学男子、娘が中学女子、私が一般男子に参加。一応、三人とも、完走できた。タイムは言うまい・・

距離 クラス
21.0975km 一般男子、一般女子
10km 一般男子(〜20歳、30歳台、40歳台、50歳台、60歳〜)、一般女子、高校男子
5km 一般女子、高校女子、中学男子
3km 中学女子
2km 小学男子(4年、5年、6年)、小学女子(4年、5年、6年)
1.5km 親子(父と子、母と子)

写真

前夜の天気予報では午後から雨の確率50%であったが、お天気は次第に良くなる。会場に向かう時間帯の気温は2度と冷え込んだが、走るにマズマズ。裏方でサポートしていた家内は寒かったようだ。

 

 

(左)子供達の受け付け。参加証葉書と引き換えに、プログラム・ゼッケン・記念品などをもらう。

(中)召集場所の娘。少し緊張気味。

(右)息子が参加した小学生男子のスタート直後。スタート前の息子は、緊張なのか不安なのか、挙動不振で頼りなく見えたものの、帰りは、元気な顔で帰って来たので、ホッとしました。

 

 
(左)開会式では、メキシコオリンピック銀メダリストの君原選手の挨拶もいただく。一般男子に混じり、走られました。

(中)プラカード嬢(熟○?)を先頭に、各クラスの選手が整列。

(右)中学生男子の元気ある走り。

反省と決意

一ヶ月前位から、週末、できたら、平日の早朝も数回練習しようと話していたが、結局、一回しか走らなかった。10kmなら、練習しなくても完走はできるだろうと甘く考えていたからだ。考えてみれば、1994年の埼玉マラソン(フルマラソン)を最後に、一度も長距離を走っておらず、6年間で10kgの体重増。にもかかわらず、気分だけは当時のまま、20kmぐらいまでは余裕だったから、10kmぐらいと思ってしまったのだ。しかし、直前になって、階段を駆け登っただけでも、息切れする現実に気付き、少しヤバイかなと・・。案の定、走ってみると、折り返し地点までの遠いこと。上り、下りもあって、めげそうになる。7km地点あたりからは、右足裏がチクチク痛む。何か異物でも入ったかなと思っていたのだが、土踏まず内側部分に豆が出来てつぶれかけていたのだ。いやいや、本当にきつかった。子供達の完走を見届けた後なので、自分だけ、リタイヤする訳にはいかず、何とかゴールまで走りきれたようなものだ。タイムは40分台後半。スタート前に、50分位でと思っていたから、マズマズと言えよう。円谷選手のように、一度も後ろを振り返らず完走した。もっとも、後を振りかえる余裕も無かったのだが。過去のマラソン同様、女性ランナーや、年配のランナーに次々と抜かれていく快感を、また味わうことができた(負け惜しみ?)。子供達も、苦しかったけど、思ったより走れて満足感があったらしく、来年も出だいと言う。来年は、5kmぐらいに距離を落としたいところだが、一般男子は10kmとハーフしか選択肢が無い。来年に向けて、せめて、体重は、これ以上増えないようにしなくてはと心に決めた。

完走証が届く

完走証が届く。タイムは、48分4秒でした(汗)。
娘:13分36秒(3km)。息子:8分40秒(2km)

子供達の分は届かないところを見ると、一般の部だけなのかな。写真では、独走体制。先頭のはずはないから、最後尾かとも思えるが、前の集団と後ろの集団の中間のぽっかりあいた空間だったようだ。

次回大会日程は、2001年9月23日

うつくしま未来博開催記念大会です。参加してみたい方は、下記を問い合わせください。


須賀川市牛袋町5番地 第19回円谷幸吉メモリアルマラソン大会事務局 TEL.0248-76-8111(9am〜8pm)